写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
 |
放生橋 |
ほうじょう |
沖縄/那覇市 |
<円覚寺参道>/
放生池 |
石桁橋(石灰岩) |
長2.7m(G) |
1498年→沖縄戦で崩壊→1967年復原 |
国重文 |
市教委/WEB |
沖縄戦で崩壊したものを復元 |
わが国現存最古の石橋/長方形の石版4枚を渡しただけの単純な構造/高欄は青石製で、精緻を極めた浮彫が見事 |
1 |
A |
|
|
元・承知川橋 |
しょうち |
長野/(諏訪)下諏訪町 |
<後の甲州街道/承知川> |
<石桁橋> |
長3.47m(G),幅1.70m |
永禄4(1561)以前? |
|
町教委 |
橋板石を久保海道公会所の石垣の一部に転用して保存(昭和52) |
表面に滑り止め加工(?)の刻み目の入った巨石(非整形の一枚石)/永禄4、第4次川中島合戦に向かう信玄が命名したとされる |
4 |
C |
|
旧・竜王河原宿石橋 |
りゅうおうかわら |
山梨/甲斐市 |
<竜王河原宿> |
<石桁橋> |
石材:長1.0m,幅0.43m
,厚0.18m |
元禄4(1561) |
市史跡 |
市教委/WEB |
石材が残存 |
竜王河原宿の免許屋敷に架けられていたもので、立村当初に掛け替えられた |
4 |
C |
 |
九十九橋の石材 |
つくも |
福井/福井市 |
<福井大橋> |
<石桁橋> |
石桁部:
長約75m(32G),
木桁部:
長約85m(15G)
(元文4の架替時) |
天正3(1575) |
|
市教委(歴史の道6p135-145)
/福井市立郷土歴史博物館
/福井工大紀要26p133-140 |
元禄元(1688)に「福井大橋掛け直る。橋杭、石板とも残らず相改める」とある/明治期に撤去・保管されている高欄には安永6(1777)の銘が入っている/寛政3(1791)、弘化3(1846)に石欄干が38間、30間倒れるとの記載→石橋にもかかわらず建造当初の石材が残っていないことを示唆している/橋脚の石柱: 14ヶ所で展示・庭石など、橋桁の石梁: 11ヶ所で展示・門柱など、敷石: 1ヶ所で27枚保管、欄干: 1ヶ所で97m分を保管
〔写真は、神明神社境内の橋桁材の記念碑への転用例: 高264㎝〕 |
国内最長の石桁橋/一般には、柴田勝家が南半を石造、北半を木造とする「半石半木」の桁橋に架け替えたとされている。根拠としては、石工棟梁・彦三郎に石工の動員を指示していることがよくあげられている。もう少し詳しく検討してみよう。貞享2(1685)の「福居御城下絵図」には木橋の部分と石橋の部分が明確に色で分けて描かれている。しかし、この絵図は、記載内容から正保年間(1644-48)の作だとされている。一方、橋の架け替え記録を見ると、正保年間以前には架け替えは1回しかなく、慶長3(1598)に「大橋出来 北ノ庄青木紀伊守 渡り初め」という記録があるだけである。もし、勝家が木橋しか架けなかったとすれば、最初の架け替え時点でもう半木半石に変更されたことになり、如何にも不自然である。勝家の創建時から半木半石であったと見るのが妥当であろう/「九十九橋」という呼称の初出は寛政7(1795)の『東西遊記』であり、江戸時代の一般名称は「大橋」、略称は「米橋」(橋長が88間だったことに由来)であった/「九十九」の由来は不明である(寛文4には99間だったとされるが、名称初出の寛政7の時点では88間だったため)/石橋部分で橋脚を31本も必要としたのは、使用した石材の笏谷石(火山礫凝灰岩)が強度的に弱く長い径間をとれなかったため/「半石半木」の理由は不明だが、合理性のある説としては、すべて石材にしたかったが(長寿命なので)、笏谷石では径間が狭くて川舟が通れなかったため、半分を木桁としたというものがある(洲の部分を石桁、河水の部分を木桁) |
4 |
A |
 |
極楽橋 |
ごくらく |
三重/伊勢市 |
金剛證寺 |
石桁橋 |
長3.7m(2G),幅2.8m |
慶長年間
(1596-1615) |
市有形 |
WEB |
保存状態良好 |
本多忠勝の家臣・下里信種によって慶長年間に架設・寄進されたとされる/完形で残る沖縄以外で国内最古の可能性のある石桁橋 |
1 |
B |
|
 |
与賀神社の萬歳橋 |
よか、ばんざい |
佐賀/佐賀市 |
与賀神社・参道 |
石桁橋(太鼓型) |
長10.5m(7G),幅3.15m |
慶長11(1606) |
国重文 |
WEB(石橋) |
保存状態良好/青銅製の擬宝珠は架設時のもの |
佐賀藩祖・鍋島直茂が与賀神社に寄進した橋/完形で残る沖縄以外で国内最古の可能性のある石桁橋(三重県の極楽橋が慶長年間と幅があるため確定できない) |
1 |
 |
 |
清正橋 |
きよまさ |
愛知/名古屋市(北区) |
味鋺神社<稲置街道> |
石桁橋(花崗岩) |
長3.1m(2G),
幅1.7m(桁石4枚) |
慶長15(1610)頃? |
|
WEB |
昭和53移設/取り壊しの予定→保存の要望で残る |
名古屋城築城の際に、加藤清正が行った石びきのために造られたと伝えられる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 |
2 |
B |
 |
年貢橋(清正橋) |
ねんぐ |
愛知/小牧市 |
本田公園<原川> |
石桁橋 |
(3G) |
慶長15(1610)頃? |
市有形 |
WEB/市教委 |
平成17県道拡幅のため解体/平成18本田公園内に移設復元 |
名古屋城築城の際に、加藤清正が行った石びきのために造られたと伝えられる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 |
2 |
B |
 |
岩尾神社の石橋 |
いわお |
兵庫/(神崎)福崎町 |
(東田原)
岩尾神社参道 |
石桁橋(凝灰岩) |
長6.2m(2G),
幅1.76m
|
慶長16(1611) |
県重文 |
町教委/WEB(福崎町HP) |
高欄が欠損 |
岩尾神社参道の小川に残る石橋/小規模だが、石桁の上に橋面石を載せる/様式から岩尾神社石造鳥居と同時期のものとされる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 |
2 |
B |
 |
対馬藩主宗家墓所
(万松院)の参道入口橋 |
(ばんしょういん) |
長崎/対馬市 |
人道/金石川 |
石桁橋(弓型) |
(3G) |
元和元(1615)以降 |
|
WEB(みさき道人) |
保存状態良好 |
対馬藩主である宗家の菩提寺に架かる橋/寺の創建時に木橋だったものを比較的早い時期に石造化した可能性が高い/2ヶ所に立てた2本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部2ヶ所にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に上下2本の梁で連結する/両岸と2ヶ所の横桁を支点として、3本のやや反った石梁を緩やかな弧状に配置/擬宝珠付き高欄/滋賀県に多い「石材を木材のように使用した桁橋」→他地域で見られることはまずない |
1 |
A |
 |
浅草寺の石橋 |
せんそう、
しゃっきょう |
東京/台東区 |
浅草寺 |
石桁橋 |
長3.3m(G),幅2.2m
|
元和4(1618) |
<国重要美術品> |
WEB |
原位置/通行禁止 |
2代将軍・徳川秀忠が浅草寺境内に東照宮を造った際、和歌山藩主の浅野但馬守長晃の妻・振姫(徳川家康の娘)が寄進/都内最古の石橋/立派な擬宝珠付き高欄 |
1 |
B |
 |
桜井神社の神橋 |
さくらい |
福岡/糸島市 |
桜井神社参道 |
石桁橋(太鼓型)
(凝灰岩) |
長5.4m(3G),幅2.7m |
寛永9(1632) |
県有形 |
WEB(石橋) |
若干の改修と損傷が認められる程度 |
井桁状に組んだ2本の石柱からなる橋脚を2基配し、その上に弓形に削り出した石梁を3本3列(計9本)置き、橋面石を敷き並べる形式/17世紀前半で初めて出現した井桁橋脚(リスト上は、対馬藩主宗家墓所の参道入口橋)の方が古いが、元和元(1615)以降の建立のため年代不明確) |
1 |
A |
 |
伊賀八幡宮の神橋 |
いが、しん |
愛知/岡崎市 |
伊賀八幡宮・蓮池 |
石桁橋 |
|
寛永13(1636) |
国重文 |
WEB |
保存状態良好/通行禁止 |
伊賀八幡宮は、3代将軍・徳川家光の命で岡崎城主・本多忠利が奉行となり、幕府作事方御大工・鈴木長次が造営したが、神橋も鈴木長次が木橋の工法を取り入れて造ったとされる→特に4本の反桁を支える組物(頭貫木鼻付き)は木造建築の軒下構造と酷似/高欄をはじめ随所に雲形模様が取り入れられ、全体が工芸美術品の水準に達している/滋賀県の日吉神社の大宮橋(国重文)と並ぶ石橋の傑作/構造的には、長方形の池の中央に石桁を架け、その4分の1点と4分の3点に組物を置き、その上にもう1本石桁を架け、その中央にさらに組物を置き、計3ヶ所の組物で太鼓状の4本の反石を支える形式 |
1 |
A |
 |
多賀大社の太閤橋 |
たが、
たいこう |
滋賀/(犬上)多賀町 |
多賀大社参道 |
石桁橋(太鼓型) |
(4G) |
寛永15(1638) |
|
WEB(宮様の石橋)/WEB |
保存状態良好 |
構造的には、等間隔に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した2本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の反石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/高欄の束石が若干装飾的 |
1 |
B |
 |
本村三島神社の参道橋 |
ほんむら・みしま |
福岡/柳川市 |
本村三島神社 |
石桁橋 |
長2.3m(G),幅2.7m |
寛永18(1641) |
|
WEB |
保存状態良好 |
高欄は石梁の上に載るが、橋面は一枚の薄い巨岩でできている(矢穴跡が十字に残る) |
1 |
B |
 |
南宮大社の輪橋 |
なんぐう、わ |
岐阜/(不破)垂井町 |
南宮大社・参道 |
石桁橋(太鼓橋) |
長5.6m(3G) |
寛永19(1642) |
国重文 |
町教委/WEB |
保存状態良好/通行禁止 |
3代将軍・徳川家光の本殿造営の一環として築造/構造的には、1本の太い石桁を両岸近くに立てられた2本の円柱で支えるのが主構造、その石桁のほぼ3等分点に2本の円柱を立て、その上に簡素な組物を置くとともに、橋軸直角方向に見て3列になった組物上に横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と2ヶ所の横梁を支点として3本の反石を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/組物同士を細い梁でつなぎ、その両端に簡易な頭貫木鼻を付けるなど木橋の特徴が見られる |
1 |
A |
 |
南宮大社の下向橋 |
なんぐう、
げこう |
岐阜/(不破)垂井町 |
<中山道> |
石桁橋 |
長5.0m(3G) |
寛永19(1642) |
国重文 |
WEB |
保存状態良好 |
3代将軍・徳川家光の本殿造営の一環として築造/輪橋が神橋であるのに対し、参拝者が通るための橋 |
1 |
C |
 |
三断橋 |
さんだん |
和歌山/和歌山市 |
人道/和歌の浦 |
石桁橋
(橋+堤防+橋+堤防+橋) |
全長約50m |
慶安2(1649) |
|
市教委 |
保存状態良好 |
施主:紀州藩初代藩主・徳川頼宣/中国杭州の西湖堤を模したものと言われる/3つの橋は入口の2径間を除き、3径間の太鼓型桁橋/県内最古の石橋 |
1 |
C |
 |
今在家の石橋 |
いまざいけ |
奈良/奈良市 |
一般道<奈良街道>
/佐保川 |
石桁橋 |
長15m(4G) |
慶安3(1650) |
|
永冨謙
/WEB(石橋巡礼) |
大正12に両端にRC橋脚を加えて拡幅 |
各3本の橋脚石柱からなる17世紀の石桁橋 |
3 |
A |
 |
直入橋 |
ちょくにゅう |
愛知/瀬戸市 |
定光寺参道/参道入口の池 |
石桁橋(花崗岩) |
長9.4m(G),桁長6m強,幅2.6m |
承応2(1653) |
市有形(建造物) |
WEB |
保存状態良好 |
施主: 尾張藩2代藩主・徳川光友、施工:奉行・熊谷政実/親柱上部と擬宝珠の装飾に独自性 |
1 |
B |
 |
大照院門前橋 |
だいしょういん |
山口/萩市 |
大照院
(毛利家墓所前) |
石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕 |
長4.5m,幅3.0m |
明暦2(1656)頃? |
|
WEB(石橋) |
保存状態良好 |
山口の「装飾石橋」の代表格/橋面石(写真参照)は5列、うち第2列と第4列の石材が数箇所で切れており、さらに、手前の石材(第4列)は切れて2つに分かれている⇒中央部の複数の切れ目は第1・3・5列の石桁側面に第2・4列の石材が“ほぞ”で固定されることで実現(裏面の写真参照)、第4列手前の切れ目は刎石で支持(部分的な使用なので刎橋ではない)/架橋年不明→墓所の開設時期と同じと推定 |
1 |
 |
 |
大照院墓所前橋 |
だいしょういん |
山口/萩市 |
大照院
(毛利家墓所前) |
石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕 |
長5.0m,幅3.0m |
明暦2(1656)頃? |
|
WEB(石橋) |
保存状態良好 |
山口の「装飾石橋」/橋面石(写真参照)は5列、うち中央の石材が途中で切れており、さらに、手前が複雑な組石となっている⇒中央の切れ目は第2列と第4列の石桁側面に中央の第3列の石材が“ほぞ”で固定されることで実現、手前の組み石は刎石で支持(同上)/架橋年不明→墓所の開設時期と同じと推定 |
1 |
A |
 |
大照院初代墓所前橋 |
だいしょういん |
山口/萩市 |
大照院
(毛利家墓所前) |
石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕 |
長4.2m,幅3.0m |
明暦2(1656)頃? |
|
WEB(石橋) |
保存状態良好 |
山口の「装飾石橋」/橋面石(写真参照)は5列、うち第2列と第4列の石材が数箇所で切れており、さらに、手前の石材(第2列)も切れている⇒中央部の複数の切れ目は第1・3・5列の石桁側面に第2・4列の石材が“ほぞ”で固定されることで実現、第2列手前の切れ目は刎石で支持(同上)/架橋年不明→墓所の開設時期と同じと推定 |
1 |
A |
 |
東光寺の瑞雲橋 |
とうこうじ、ずいうん |
山口/萩市 |
東光寺
(毛利家墓所前) |
石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕 |
長5.1m(2G),幅3.4m
|
元禄7(1694)以降? |
|
WEB(石橋) |
右記のようにかなり無理をした構造(墓所に向かって右側の側面は2径間の桁橋、左側の側面は刎橋(写真参照)という変則的な構造のため、恐らく無理がかかって木材で数ヶ所補強支持→木材が腐食 |
山口の「装飾石橋」/同じ毛利家墓所前の「装飾石橋」でも、大照院の3橋とは異なり2径間で、かつ、石刎を本格的に使用→3列ある橋面石のうち、墓所に向かって左から2列と3列目が中央で切れ、1列目だけが貫通している(中央の写真参照)→そのため3列目の下だけに中間支柱がある(右側の写真参照)、一方、1列目は両端部に多くの切れ目があるため長い刎石で支持(左側の写真参照)/左側面については外観上は完全な石刎橋だが、目的が「装飾」にあるため石桁橋として分類する/このような刎石の使用が磐石橋の発想につながった可能性は大きい/架橋年不明→墓所の最初の埋葬者・毛利吉就の没年以降と推定 |
1 |
B |
 |
知恩院の南門前橋 |
ちおんいん |
京都/京都市(東山区) |
知恩院参道 |
石桁橋(花崗岩) |
長4.7m(G),幅6.4m |
万治3(1660) |
|
WEB |
橋面石の中央2列と両端2列の石材表面の加工が異なるので、拡幅された可能性 |
幅が広いため石桁を5列配し、その上に橋面石を4列並べる構造 |
2 |
B |
 |
小野神社の参道橋 |
おの |
福岡/八女市 |
小野神社 |
石桁橋(弓型) |
長2.9m(2G),幅1.9m |
寛文5(1665) |
市史跡 |
WEB(石橋) |
保存状態良好 |
中央の束柱に「寛文五寅申年/十一月吉日」と刻字/3本の石柱の上に横桁を載せ、その上に両岸から石梁を置く最も単純な形式 |
1 |
B |
 |
大宮橋 |
おおみや |
滋賀/大津市 |
日吉大社 |
石桁橋 |
長13.9m(3G) |
寛文9(1669) |
国重文 |
市教委/WEB |
保存状態良好 |
坂本の穴太衆の作とされる/構造的には、ほぼ3等分点に2本と両岸に立てた計4本の太い円柱と、その円柱の上に架けた3本の梁が主構造、主構造を補強するため、橋軸横断方向に3本ずつ置かれた円柱同士はほぞ穴を開けて横梁を渡し、ほぞの空隙をあたかも木橋のように石のかすがいを打ち込んで固定している/円柱上の石梁も、ただ置いてあるのではなく、木材の台持継ぎ、相欠継ぎと同じ形で密着させてある/上部工も、ただ石梁上に横桁を並べるだけでなく、横桁の接触部分を切り欠いて密着させてある/装飾的には高欄に格座間型の開口部が設けられている/日吉三橋の中で最も手が込んでおり、愛知県岡崎市の伊賀八幡宮の神橋(国重文)並ぶ石橋の傑作 |
1 |
 |
 |
二宮橋 |
にのみや |
滋賀/大津市 |
日吉大社 |
石桁橋 |
長13.9m(3G) |
寛文9(1669) |
国重文 |
市教委/WEB |
保存状態良好 |
坂本の穴太衆の作とされる/構造的には、両岸とその近くに立てた計4本の太い円柱と、その円柱の上に架けた中央の大梁と短い側径間の梁が主構造、その上に置かれた等間隔の横桁の上に橋面石を並べている/大宮橋と類似した構造だが、円柱は独立して立っているだけで相互の固定・補強は全くないし、その上の石梁も置いてあるだけで、横桁も置いてあるだけ、高欄には開口部はない |
1 |
B |
 |
走井橋 |
はしりい |
滋賀/大津市 |
日吉大社 |
石桁橋 |
長13.8m(3G) |
寛文9(1669) |
国重文 |
市教委/WEB |
保存状態良好 |
坂本の穴太衆の作とされる/日吉三橋の中で最も簡易な構造で、普通の3径間の石桁橋で高欄もない/ただ、3径間を通して全体に緩い虹型をしており、簡素な中にシンプルな美しさが感じられる/走井橋は聖俗を分ける結界で、かつて人々は参詣前にこの橋上で罪穢れを祓う禊ぎを行ったと言われる |
1 |
B |
 |
岡山藩校跡の泮池橋 |
はんいけ |
岡山/岡山市(北区) |
人道/泮池 |
石桁橋(花崗岩) |
長10.6m(4G) |
寛文9(1669) |
国史跡 |
|
橋しか残っていないが、橋自体の保存状態は最良 |
津田永忠/良質の花崗岩を使用した細い梁と柱の造形は、九州に残る近世の2つの国史跡の石桁橋よりも繊細で華奢なイメージ |
1 |
B |
 |
矢川神社の太鼓橋 |
やがわ |
滋賀/甲賀市 |
矢川神社参道 |
石桁橋(太鼓型) |
長6.00m(4G),幅3.71
m,高3.96m |
寛文11(1671) |
市建造物 |
WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p565-567) |
保存状態良好/明治20(1887)に修理 |
構造的には、中央と両岸近くに立てた3本の太い円柱と、その円柱にほぞ穴を開けて架け渡した1段2本の梁が主構造(中央のみ2段4本)、3本の円柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造(中央柱は上下2段、両側柱は下1段にほぞ穴を開けて計4本の梁を橋軸直角方向に架け渡す)、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/円柱を縦横に貫通するように見せた複雑な構造は木橋そのものであり、大津市の大宮橋に近い完成度の高さをもつ/高欄が全くない→渡ることを想定していない/雨乞い祈願の宮として知られる/『そりはし万事日記』により寛文11の架設であると判明 |
1 |
 |
 |
馬見岡綿向神社の太鼓橋 |
うまみおかわたむき |
滋賀/(蒲生)日野町 |
馬見岡綿向神社参道 |
石桁橋(太鼓型) |
長5.5m(4G) |
延宝9(1681) |
|
町教委 |
保存状態良好 |
構造的には、等間隔に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した2本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の反石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/高欄の束石が若干装飾的 |
1 |
B |
 |
薬師院の石橋 |
やくしいん |
兵庫/明石市 |
薬師院 |
石桁橋 |
(2G) |
元禄元(1688) |
|
WEB |
|
薬師院の参道に架かる石橋 |
1 |
C |
 |
三十八社の太鼓橋 |
さんじゅうはっしゃ |
滋賀/甲賀市 |
三十八社参道 |
石桁橋(太鼓型) |
長2.91m(2G),幅2.13
m,高1.06m |
元禄年間
(1688-1704) |
|
WEB(宮様の石橋)/WEB |
保存状態良好 |
中央に立てた1本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に梁で連結する(正確には円柱と横桁の間に小さな台石が挿入されている)/両岸と中央の横桁を支点として、2本のやや反った石梁を尖頭状に配置/高欄はない/年代刻銘あり |
1 |
B |
 |
八幡神社の太鼓橋 |
はちまん |
岐阜/関市 |
八幡神社・奥参道
(武芸川町八幡) |
石桁橋(太鼓型) |
長3.8m(2G) |
元禄7(1694) |
|
市教委 |
保存状態良好 |
石工:石橋長右衛門/構造的には、中央に立てた1本の角柱の上に2本の石桁を架けたのが主構造、その石桁の中央にさらに角柱を立て、橋軸直角方向に見て3列になった角柱の上に横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と横梁を支点として2本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/真横から見ると十字の石組の上に太鼓橋が載っていて安定度が高いように見えるが、十字の石材が4本から構成されており、不安定な感じは否めない→他所では見られない特異な構造⇔滋賀県日野町の八阪神社太鼓橋では、角柱が川底から太鼓部まで1本で立ち上がっており安定性という点では勝っている |
1 |
B |
 |
地主神社の参道橋 |
じしゅ |
福岡/八女市 |
地主神社 |
石桁橋 |
長2.6m(2G),幅2.9m |
元禄7(1694) |
|
WEB(石橋) |
橋面に簡易舗装 |
装飾的な高欄/3本の石柱の上に横桁を置き、両岸から石梁を置く最も単純な構造 |
2 |
C |
 |
曹源寺・放生池橋 |
そうげんじ・ほうじょう |
岡山/岡山市(中区) |
曹源寺参道 |
石桁橋(花崗岩) |
長4.6m(G) |
元禄11(1698) |
国史跡 |
WEB(石橋) |
保存状態良好 |
参道の中間にある放生池に架かる美しい虹橋(高欄も虹型) |
1 |
C |
 |
八坂神社の下馬橋 |
やさか、げば |
滋賀/甲賀市 |
八坂神社参道 |
石桁橋(太鼓型) |
長3.48m(2G),幅2.43m |
元禄12(1699)
→天保5(1835)修理 |
市建造物 |
WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p563-564) |
保存状態良好 |
上記「三十八社の太鼓橋」と酷似/中央の弧状桁石(上流側)に「雨乞御返礼」「元禄十二年乙卯年八月吉祥日」「儀俄庄惣氏子神主勘太夫」「泉州日根郡鳥取庄」などの刻銘→泉州石工は西日本を代表する石塔石工→細工物が得意/天保5の修理も泉州の石工が実施 |
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A |
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宝積禅寺の石橋 |
ほうしゃく |
兵庫/たつの市 |
参道/放生池 |
石桁橋(弓型) |
(4G) |
江戸前期? |
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市教委
/WEB(石橋巡礼) |
保存状態良好 |
2本橋脚上に横桁、その上に3本の石桁、その上に橋面石を2列に並べる/高欄なし |
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B |